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Dream of Engineerings

yuya_prestoの非技術ブログ

自分の技術的ルーツ

以下、(エンジニアが言うところの)ポエムです。技術カラー強すぎてごめんなさい。

下記は前職の元(上司の)上司の方の投稿なのですが、もう思うところしかなくて。自分も同じように書き始めてしまいました。

広木 大地 - 自分がプログラミングを覚える前に、初めて家にwindows95のパソコンが来て、自分のものとして使って... | Facebook

遊びの延長で仕事を受けたらお金もらえたし、これじゃヤバイのかなと思って、力仕事や単純作業系のバイトもしてみたけど、全く面白くなくて、結局教えることくらいしかおもしろいことはなかった。 社会人になると、遊びに近かったことが全部基礎体力になってた。 たいていの遊びよりはるかにおもしろい学習ってやつを「つまらないもの」って偏見を植え付けて、辛いことに耐えることが正しい価値観だと植え付ける装置が学校だと感じた。 たまたま、俺はそれよりおもしろいものがあって良かった。

小学生のころ

どうしても暗号化ソフト(なぜ?)を作りたくて、最初は暗証番号を入れるだけのやつを作り、でも生データ見れちゃうよねって思ってボタンポチポチで発見したVBA(オフィスについてるBasic)作ろうとしたのが最初だった。確か友達の家のPCでやってたが、その後家にWindows 95のPC(懐かしのDESKPOWER、HDD 2GB)が設置されて自分の方向性が確定した。

記憶に残っている限り自宅のPCではdllやらexeやらポチポチしていて、親いわく何度もリカバリしたらしいが怒られた記憶がないし、そもそも当時のPCをそれだけ自由に使わせてくれた親には感謝しかない。あとおじ?に懐かしのNorton Utilitiesやら強そうな装備をインストールしてもらいさらにシステム感がパワーアップしましたとさ。

中学生のとき

ちゃんとプログラミングしようと思って(暗号学とかの知識もなく)HSPという言語で雑な暗号化フリーソフト作って懐かしのVectorに載っけたらPC関係の雑誌の新着欄に載ってすごい喜んだ。 (あ、今思い出したけど、雑誌は親が買ってくれてエロい2次元コンテンツがあるところはホチキスされてたww 興味なかったけどw)

同じ頃、今は亡き金子さんが逮捕されたニュースを聞き、技術的にすごいと聞いて興味が湧いて自分でもP2P的な通信ソフトを作ってみようとした。できそうじゃん?という"根拠のない自信"だけを頼りにイントラネット上で隣り合ったホストにつなぎ合わせてリング型の通信路(無意味じゃんw)を作ってチャットする実験を、パソコン授業の自由時間に同級生のPCに配って繰り広げて、そのときの先生には褒められてたな。

残念ながらITな仲間がほぼいなかった。「私のしごと館」の職業体験で「プログラミング」を選んだら最少催行人数を下回ったのをよく覚えてる。だから高校で仲間を見つけようと思ったんだった。

このころ社会の先生の前で学校のPC使ってたら「何か悪いことしてないだろうな?絶対にダメだからな??すんなよ???」みたいに前のめりに言われて冷ややかな目線を送ったのはいい思い出。

高校生のころ

自作PCが全盛期で、無料のレンタルサーバ(たぶん自宅)を借りてHP作ったことが転じて、自分も入学祝いをかき集めて自宅サーバで無料レンタルしてた。PF-X.NETという有名な無料レンタルサーバがあって憧れてたんだけど、最近終了したみたいで哀愁を感じる。10年以上の運用、本当にお疲れ様でした。

それが発展して、当時のWindowsじゃうまくいかないこと(権限管理とか、安定性とか)をLinuxでできると知ってFedora経由で(最適化こだわりすぎて)Gentoo Linuxの世界へ入っていき、ドキュメントの日本語訳とかを少しだけやった。このころ(10年近く前)カーネルの設定をいじくっていて見かけた"cgroups"が最近になって仮想化のLXCとその上で動くDockerに化けたことを考えると胸熱。

(人生で一番低レイヤな事やってた時期なので読み飛ばしてください・・) 自宅でやるレンタルサーバでも高信頼を実現するにはと考えて、HAや負荷分散のストレージ層〜ネットワーク層〜OSをいろいろと調べたり実験したり。 例えば、Apacheはsuexec(共用サーバ向けに、ディレクトリごとにCGIを実行するユーザIDを変える)はmod_phpだと使えない(ApacheのユーザIDになる)ので、mod_fcgiを改造してFastCGIとsuexecを組み合わせて解決しようとしたり(ここでC言語大量に読む)。自宅だしサーバいつ落ちてもおかしくないので、DRBDでホストをまたぐRAID1を組んで、その上にRedHatのGFS(not Google)という複数ホスト同時mount可能なファイルシステム載せたり(今考えるとどうみても無茶w)。DRBD的なものは今Amazon RDBに使われてるようなのでこれも胸熱。

あとなんかYahooチャットに出入りしてて、荒らしと業者がいっぱいいたから拙い対策ソフト作って純粋にすごいとほめられてうれしかった(主さん、元気にしてるかな・・)。

残念ながら高校ではスクールカースト最下層という感じで、「ハッカーと画家」に出てくる学校生活みたいなものだった(追記:オーケストラ部は楽しかったぞ)。P2P地震情報というソフトのチャットルームが転じた2chIRCに入り浸っててオタクランゲージになってたのは否めないけどw エンジニアを志してる人は見つけられず、仲間を大学に求めるため、あるいは高卒で就職するために休み時間も基本情報や入試の勉強して、基本情報は2年のときに合格した。この頃の気持ち↓

学校に絶望して自ら孤立を深めてた3年の暮れに先生と基本情報について話してたとき、(誰だったかは忘れてごめん)クラスの女子にこんな感じのことを言われたんだ。「そんな難しい資格取ってたんだ。すごいやん、頑張ってたんだね。」 人間って単純でほめられたらうれしい。やってきたこと間違ってなかったんだという気持ちになったよ。ありがとう、本当に。(あと、このころ孤立を解こうとしてくれてた女子陣にも感謝してる。)

このころの情報の先生兼オケ部の顧問にコンサートのチラシをInkscape?で作って持ってったら、英単語のミスを頭ごなしに否定されてWordかなんかで同じやつを1から作り直されて、プライドか何かですかーと思ったのもいい思い出(先生、授業中になんか言ってた基本情報技術者、在校中に取りましたよ)。

大学生のとき

前半は残念ながらまた情報系仲間には恵まれなかった。情報工学科なのにプログラミング初心者で書けませんという人が多かった。RDBの授業の進みが遅かったので、同志社ローム記念館プロジェクトPHP+MySQLでシステム作るやつの内職してたら後ろがざわついたり。また休み時間も勉強して今度は応用情報とネットワークスペシャリストに連続合格したり。ちなみにyomeとの出会いもプロジェクト。家が二人とも大阪で、はじめて一緒に帰った日に応用情報のガリ勉に付き合ってくれたことをよく覚えてる。

あああと、そのPHP+MySQLのシステム作ったことで自分のWebフレームワークやきれいなコード、汚いコードに対するセンスが身についたかもしれない。プロジェクトでの開発をサポートしてくれてた企業の方から「(知識がない)他の人がわかるように(フレームワークの機能を使いすぎない)簡単な書き方をしよう(=O/Rマッパのクエリに生SQL書こう)」と言われたけど、本当の簡単さはその機能や仕組みを学習し、(複雑すぎない範囲で)それを活かした設計・実装をすることだ、とこのとき理解したんだ。

同志社ローム記念館プロジェクトでは他にもNyARToolkitを使ってARの展示やったり、ペイントで色を塗りつぶしたらその年のMVPが浮き上がる画像を作るソフト書いたりしたっけ。

その他にも、(一部高校かも・・?)負荷分散、特にL3, L7ロードバランサとかDSRとか調べまくってた。そのころ気になってたVIVERを作ってた古橋さんは今ではfluentd、msgpack、Treasureな世界に名だたるエンジニアなので尊敬しかない。LinuxTCP/IPスタックを書き換えて特殊なパケット使えばL7でもDSRできるようになるんじゃとコード読んだりしたけど、ちゃんと勉強してボツに。流れで、TCP/IPにハマって詳解TCP/IPを借りて熱心に講義を聞いてると、このときの先生は(研究者になると思ったようで)とても丁寧に教えてくれた。それで最終的にネットワークスペシャリスト受けたんだけど、試験の当日の早朝にLinuxマシンでスパニングツリーを実験してみて動いたー!とかやってたら、それが問題に出て合格したり。3年くらいのとき、バイト?の翌日にテストに遅れて、少し前に(お金なかったし)大学院行きませんって伝えてたこともあってその先生には勘当?されちゃったけど。

このころはセキュリティの勉強会のまっちゃ139にお邪魔したり、オープンソースカンファレンス見に行ったりしてた。91世代という界隈グループで城崎温泉行ったり、ネットワーク関係勉強してるって知った先輩が、京都大学(今は立命)の先生を紹介してくれたり。どこで知ったかセキュリティキャンプの卒業生がすごいぞと思って、仲間作りたいと思ってキャンプに当時あったプログラミングコースのLinux組で参加したりもしたけど、事前にSNSで連絡取ってなかったり当時のコミュ障であまり仲間に入れなかったのが無念。。でもLinux Kernel Watchが大好きで"がちゃぴん先生"こと小崎さんに会えてめちゃくちゃ感激したのはよく覚えてる(ビュッフェでおいしそーと言ってたおかずの最後の1つ取っちゃって「ぎゃーー!!」と言わせてごめんなさいでしたw)。

ここでエンジニア人生の転機が訪れる。入学する前は技術のニッチ性もあってがっちりしたシステム系の会社に行くと思って「デスマーチにならないためのソフトウェア工学だ」とか謎に思ってたけど、ある時そういうガチガチさなしで華麗にWebサービスを作る id:r7kamura の姿を見て未来はこっちだって思った。r7kamuraは前述のプロジェクトの1つに参加してたのだけど、そこではみんなでソースコード書いてて、ようやく仲間感がで始めた(もうその頃には開き直って一匹狼で戦うことを覚悟してたけどw)。そしてそのメンバーで和歌山・白浜でやってる情報危機管理コンテストで優勝もぎ取ってきた。

このころのサーバが起動しなくなった〜どうすりゃいいんだ〜〜とか頭抱えてた研究室の先生に「それLive CDとかでなんとかなりません?」と言ったところふてくされた顔でスルーされた(けど直してた)のもいい思い出。

社会は厳しくない、むしろ優しい

社会人になってからはもう任されるままに好きなだけコードを書き続けた。最初の先輩が優しくて好き勝手やっててもなんでも相談してくださった。最初の上司も、その次の上司も、さらにその次の上司も、そして最後の上司と会長も、仕事に関して自由を与えてくれる人で特に技術に関してはすべて任せて頂いていた。技術研修では冒頭の元(上司の)上司に、リーダブルコードやらOOPやらの手ほどきを受け、その内容で自分のコードの「良さ」を見る目に対して一つの基準を与えていただいた。それからひたすらVimの設定書いてみたり(1500行近くなったのに今じゃAtom教・・)。VimやらAndroidやらの勉強会参加したり。JSをレビュー(怖い人だったらしく・・ごめんなさい・・w)しまくったり。Qiita書きまくったり。チームメンバーの「これやってらんねぇ」を聞いてXcodeプラグイン書いたり。切磋琢磨する仲間にも出会えた。

この時点でもうなんの壁もなかった。最初の少しまとも?なプログラミングから10年、ようやく自分の欲してた環境に身をおくことができた。10年という時間はどれほど長かっただろう。大学生は夏休みとか、社会出たら好きなことできないとかいうけど、むしろ社会出てからのほうが好きなことをできてる。高校のスクールカーストや大学の研究室への缶詰に比べると、自分の周りの社会ははるかに優しい。

(まぁ一歩間違えたらWeb側に行ってなくて、ちょまど氏みたいにコード1行も書けない会社に就職してさらに苦しんでたかもしれないと考えるとゾッとするけどね・・w)


懐古すぎて何書こうと思ったんだったっけ状態だw ああ、そうだった。結局、何かをやろう、何かを解決しようとしたときそれをとことん学ぶことが楽しくなっていたという感じで、そのことが自分のIT系にもIT以外の活動分野にも関わってきていたりする。保育、教育、SOGI、そのあたりもそんな感じで踏み込んだ世界だ。英語で書くことも、Skypeで外国の人とチャットしたとか、今は亡きTetriNET2という超高速テトリス対戦ゲームで相手をフルボッコにしてdamn u!!! XDとか言われまくったとかで慣れたようなもんだし。そしてそれは基本的に(小中高の)学校ではなく自分(たち)で手に入れたものだ。

学校教育については思うところありすぎるけど今回懐古で書きそびれたので次回で。何にせよ「勉強」「学校」が教育によって「つまらないもの」「苦しいもの」になるのは激しく害悪だと思う。自分にとって「おもしろいもの」が分かってる人が自らそれを学んでいけるよう、一人ひとりにあった教育ルートがほしいと切に願う。

そして自分と同じようにエンジニアを志す人たちに、(当時の(逮捕されるべきでなかった)金子さんのように)自分が道標となっていくことができたら、自分はエンジニアとしてきっと最高にうれしい。この世界にとって足を踏み入れる人にとって、楽しくてしょうがないだけでなく、この先壁が少しでも減ることを願いつつ、この駄文を締めくくっておく。

(※なんで高専に行かんかったんやとか、なんで(界隈関係者の多い)筑波とかに入らんかったんやとかはありそうなツッコミだけど、その時はまだそういう情報を持ってなかったんすよ・・。あと金なくて下宿不能だったしなぁ。)

寿退社したのでラーメン食べた

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6/23に結婚しました。結婚と同時に大阪に引っ越しました。夫婦ともに大阪出身なので、大阪と京都の間くらいに住んでます。

※エンジニアの界隈には退職時にとある中華屋に行く慣習があるが、当該店舗がつぶれていたので大阪の中華そb・・ですらなくラーメン。ちなみに婚姻届提出後初の記念すべき飯。

経緯

プロポーズ:2014年8月

〜〜〜
O(ya)Auth認可されず期間

OAuth。エンジニア界隈ではこれをもじってyomeに許可を取ることをYAuthと言ったりする。
〜〜〜

yomeの発言 f:id:yuya_presto:20160709045914p:plain

※なお大安吉日です。

お互いに(電車に乗ってる人が殺伐としてなくて、銀○こじゃない正統なたこやきが安く食える)大阪に帰りたい宣言していたので、引っ越す覚悟を決める。

※なお自分は東京の駅&車内で2回首を絞められた経験あり。

退職願&お世話になりましたm(_ _)m

送別会で先輩がまさかのyomeからのメッセージを用意してくれていたときの顔 f:id:yuya_presto:20160610235412j:plain

※この送別会で馴れ初め〜結婚確定までの各種イベントをがっつりゲロったw

最終出社後1週間でエクストリーム引っ越し&署名もらいに行く

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※追記:顔出しNGとのことだったので急遽上書きしました

結婚とはゴールではない、プロジェクトのキックオフや。(概ねyomeの発言

アラン・チューリング

要約すれば、コンピュータ、愛、そしてアップル(一部の噂だけど)というわけです。 詳しくはウィキペディアへどうぞ。

チューリングがいなければエンジニアを志せなかっただろうし、yomeもIT系オタkおっと誰かが来たようだ)

仕事のはなし

株式会社ミクシィではエンジニアとしても、チームメンバーとしても貴重な経験をさせていただくことができました。前半2年がmixi.jpのウェブ&アプリ、後半2年が「家族アルバム みてね」のアプリ&APIでした。

前者は実はyomeが最初にインターネットを通じて連絡を取ってくれた場所であり(当時ケータイを無くして金もなく数ヶ月間持ってなかった)、後者は兼ねてから子育て・保育・発達心理学とかに興味があった自分にとって初めての子育て系サービスの開発となりました。

優秀な仲間に囲まれ、爆速で学んだり人脈を作ったりできました。純粋に楽しかった、新卒でこんな環境に入れて良かったです。(あと先輩方がみんな優しくて(好き放題やる僕でも)生きのびることができました。)本当にお世話になりました。

mitene.us

現在有給消化中です。これからはフリーランスでやれるところまでやってみようという方向です。 まずは教育系ベンチャー企業でウェブとアプリの開発や、とあるAndroidアプリのローンチに携わったりしています。

屋号が思いつかないのでもうPrestoでもいいですか状態。このままだと屋号なしで開業届出す。

ご挨拶

至らぬ点も多々あるかと思いますが、これからもどうぞよろしくお願いします。

※例のやつです→ http://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/8KLE9AS5GHES

2015年の振り返り+2016年の抱負

明けましておめでとうございます・・!

Qiitaをエンジニアブログとして使っているけど、エンジニアと無関係なことについて綴る場所がほしかったのもあり、非エンジニアなことをこのブログに書いていくことにしようと思う。

手始めに2015年の振り返りをメモ的に書いてみる。

2015年について

社会人4年目であり、エンジニア25歳定年説の年。 仕事では(身を削りながら)シニアレベルのAndroidエンジニアとしての地位を確立しつつ、ジェンダー、子育て、教育の話などをいろいろ考えた年だった。

抱負は、「いま目の前にあるリアルな問題を解決する」だった。元はIT技術が必要とされているところに行き届かず経済的なところが重視されていることへの憂いと戒めであったが、最終的には自身の問題へとたどり着いた。

3月:手術

研究室缶詰の間に発症してたションベン出ない病が限界になり慌てて病院に行ったところ尿道狭窄症であると判明、1週間の入院・手術した。暇&環境が良すぎるので本を読んだりコードを書いたりしてた。隣の人も学生だったのでちょっと話したりした。

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河北病院出張オフィスの様子です。病院スタッフの皆さんに感謝でした。読んだ本はこんな感じです。

後者2冊を通して、日本の男子が働く時間切り上げて家に帰って家事・子育てをすることが全てを解決すると確信した。

あと、Vim教からAtom教へのエディタの改宗をしたのはここです。

ちなみにこのあと数ヶ月間自分で「カテーテル挿入抜去」こと自己導尿をすることになったのはいい思い出。 それと夫の検査(生検?)に付き添っていたおばちゃんと仲良くなり、なぜだか下記のメモ張をもらったこともいい思い出。

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4月:聖蹟桜ヶ丘

いや、耳すま一発でファンになったのでw ジブリ大好きな高校の友達が名古屋からはるばる遊びに来てくれたので、一緒に行ってきた。

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↑図書館まで近道!

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↑「や、やだ・・こんな時・・冗談言わないで」

聖蹟桜ヶ丘をここに書くのにはもう1つ理由があって、地球屋がある(実際にはない)ロータリの近くの公民館にいたおじいちゃんと話のがあまりに印象的すぎたから。

爺「こんな田舎に何しに来たんだぃ?」
私「いや、耳すまのファンで・・」
爺「ああ、若いのがよく来るねぇ、でも、ここの若い者はみんな外に出ていったよ。残ってるのは老人だけ。」
爺「土地が安くなって、マンションに住みたくない人が同じくらいの金額で一軒家に住んでるよ。」
私「何でそんなに人がいなくなってるんですか?」
爺「仕事がないからなぁ。東京の方ばっかりに仕事がある。何の仕事してんだい?」
私「ITです」
爺「ITか、ITならどこでも仕事できるだろう。田舎は空気もよいし、景色も良いし、自然も多いし、いいことだらけだよ。」

我々は東京集中を反省して、もっと工夫するべきフェーズなのではなかろうか。ちなみに、近くに保育園もあったよ。

5月:インド旅行と結婚式

初めての一次会からの結婚式が、ま、ま、まさかのインド!? 後輩と一緒にインドに飛んだのが5月。

インド人の先輩の結婚式は多くの親族や友人に囲まれる中、舞台の上で結婚のための儀式を行うというとてもエキゾチックな式だった。

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結婚の儀式が終わった後で記念撮影。独特の衣装を身にまとったお二人の輝きがすごい・・! 初めて招待された結婚式、本当に楽しめた。招待してくれてありがとう・・!!

後輩と一緒にインドの観光も楽しんだ。

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↑タージマハル、中も入った。近づけば近づくほど石の美しさと細かな彫刻の美しさが浮かび上がってくる。

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↑式の後、後輩とPanambur Beachで泳いだ時の映えた1枚。他の先輩方放置でごめんなさいw

恋バナ、故郷の話、懐メロ(中国人だけど80〜90'sあたりの邦楽を日本人より聴いてそう・・!?)の話とかもしたなぁ、楽しかったぜ・・!

多くの街を回れたわけではないけど、インドは本当にいろんな顔を持っている国なんだなと思いました。

(注:デリーの「政府公認」とか言ってる旅行会社と、生のフルーツ(缶詰以外)は危険なので気をつけて・・!相棒は両方喰らってた・・w)

5月〜9月:エンジニア活動への偏重とAndroid

後述の危機から逃れるように、仕事を含めたエンジニア活動に偏重するようになった。一方でshibuya.apkに参加したり、Qiitaの記事をちまちま書くようになって(RxJavaとか)、(シニアレベルの)Androidエンジニアにジョブチェンジした時期でもある。

特に7月〜:アイデンティティ危機とジェンダー

2014年にプロポーズしてから1年近くになっていたけど婚姻届を出していない件があって、主に相手の親の反対が理由だったんだけど、その辺からこじれにこじれた話。

「しっかりしてない」「頼りない」などと言われてたけど、挙動不審なのは認めつつ「男らしくない」というニュアンスが含まれていたことにとても苦しんだ。女子(含yome)から「女子と話しているみたい」って言われるタイプの人間で、それを良しとしてたので、そのままアイデンティティ危機的な状態になって精神衛生上ボコボコだった。

親が悪いとは一切思ってなくて、ただそれが社会的に受け入れられないとわかったことに加え、自分がどうしていたいのか、どう表現したらいいのか、わからなくなってしまったのが危機だった。

最終的に、yomeはありのままを受け入れてくれている。本当に感謝している。そのおかげで、いろいろな意味で(技術者としてではない)自分らしさを考えるようにもなった。 それから、大学の(ローム記念館PJの)先輩がしれっとyomeに対して自分のことをほめてくれていたみたいで、それもまたうれしかったです。

ジェンダーセクシャリティの話に以前から興味があったり、yomeも同性婚の話題を通してそうであってくれたり、以前いとこが「Xジェンダー」(既存のジェンダーの考え方に当てはめ(たく)ないジェンダー)をオープンにしていたりし、いろいろ調べたり考えたりする機会があったのも助かった。セクシャルマイノリティな人たちの側にアンテナ張ったのもこの時期。その辺に関しては気が向いたらいろいろ書くと思う。

あ、あと以前同期に(yomeが好きすぎてw)True Loveとか言われてたけど、「デミセク」っていう「親しくなった人にしか性的な興味を抱かない」(消極的なだけの草食男子とは異なる)のが自分に当てはまりそうだと気がつきつつ、それが(LGBTの陰に隠れた)セクシャルマイノリティだということにとても驚いたのもあった。当てはまる人ゴロゴロいそうな気がするのでデミセク診断(英語)とかどうぞ。

7月:無料の塾と学級崩壊

タイミング的に前述の危機を解決することに必死になってしまって1回しか参加できなかったが、様々な事情から塾に行けない小・中学生たちに無料の塾をやる自主的なサークルに顔を出したりした。 そこで聞いた話は、教育費と貧困とかじゃなく、学校の授業の崩壊だった。家で勉強できる環境にないからかと思っていたけど、実際はそもそも学校が機能していないという話は衝撃だった。 いろいろ落ち着いたらまた参加したいと思う。

10月:とあるプロジェクト〜学習成果の可視化と一般化〜

大学先輩が紹介してくれた(別の)大学の准教授の先生とのプロジェクトが始まった。 詳しいことはまだだけど、大学の個々の単位の中身がバラバラすぎて、ほとんど評価されなかったり互換や独自学習が効かなかったりする(がゆえに就活では学校名が重視されるんじゃなかろうか)現状を、Mozillaが今まだ実証中の仕組みを使って学習成果の可視化と一般化をして打破する予定。

yomeとも合意なのが新卒一括採用や就活は本当に不毛なので早くなんとかしたいという所存でもある。

紹介してくれた先輩と僕に頼んでくれた先生に感謝です・・!

11月:同級生の結婚式

結婚式に参加する回数の多い年だったんですが、一次会からの結婚式がもう1回。高校から付き合い続けていた部活の同期同士のカップルがついに結婚した。 とてもいい式だった。沖縄で1年間生活していた新婦のために駆けつけた島人(しまんちゅ)の皆さんも最高のノリだったw 何より新郎新婦もその親族もみんないい人で、そして友達をすごい大切にしているんだなって、なんだろう、純粋に人柄の良さがちょっとうらやましくなったりした。

12月:とある写真館のNAS事情

某Nから始まる電器会社から写真館に婿入りした先輩の話。NASの故障を直しに行った時に感じたのが、写真館のストレージソリューションのなさ。年2TB以上生成され一生保存し続けるデータで、AWS S3だと高すぎるし、店に保管はRAID1を組もうが安全性に欠ける。

あと以前この先輩の写真のJPEGヘッダ破損を直したことがあるが、HDDのサルベージ業者はありつつ、写真(JPEGとか)のデータが論理破壊を起こした時に(例え壊れているのがヘッダだけだったとしても)対応できる業者がないらしい。あ、お仕事お待ちしておりますw

12月(その2):26歳

アラサーも「ギリギリまだです」とか言えない領域に入ってしまった。それから25歳定年後継続雇用でエンジニア続けられそうです。

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みてねチームのメンバーに祝ってもらいました。うれしかったです、ありがとうございます!

例の乞食リストです。

ピアノの進捗

独学でピアノを練習している(かつてちょっと習ってた)。 ようやくバイエル100番を突破した。ブルグミュラーソナチネ100番を買っておいた。 西村由紀江さんの「やさしさ」「明日を信じて」を弾けるようになった。中村由利子さんの曲も弾こうとしたが、どうも綺麗に弾けず一旦断念。

2016年の抱負

振り返りがめちゃくちゃ長くなってしまった・・w

自分を表現する

危機の話を書いたけど、その辺と折り合いをつけられたことでできるようになったことを、なるべく20代の間にしっかりやっておきたいという気持ちです。閉じこもるだけじゃなくて。

人とのつながりを大切にする

自分の決定的に弱いところはそこだと思う。結婚式の話とプロジェクトの話を書いたけど、人のつながりがいろんな化学反応を起こすことはわかっているつもりなので、そこに重点を置いていきたい。

くくり

5500文字になっててビビった・・w 2016年もよろしくお願いします・・!

はてブロ作ってみた

(この記事は http://ypresto.hatenablog.com/ からの輸入です..jpを日本語にして,.comを英語にしようと思います.)

yuya_prestoです.

昨日家が決まってほっとしています.
勤務先からは少し離れているけど,下町での暮らしを選びました.

そんなこんなの新生活の準備のついでに,ブログも新しく作ってみました.
とりあえずこれはテスト投稿です.

ちなみに,yuya_prestoだとアンダーバーが引っかかることが多いし,
yprestoにしてみてるんですが,もっといいハンドルあるじゃねぇか!という突っ込み大歓迎です.

ではでは,とりあえずなので失礼.

WYSIWYGエディタイイネ!)