これを見て、非常にわかるとなった。わたしは27の時に子どもが生まれてるので、かれこれ10年ぐらい子ども中心の生活をしていて、もどかしさも感じている。
(ただしわたしの場合、子どもが幼児のころコロナ禍のころに10人未満のスタートアップに参画したり、 孤独に耐えかねて友とClubhouseに入り浸るなどもしており、妻から「犠牲にされた」と表現されるのも無理はないなと思った。)
ところで「子育て自体」も順風満帆に行くとは限らない。わたしの場合は典型的なそれである。公開してないけど実はうちも・・という話もちょくちょく聞く。隠されるがゆえに似た境遇の人と繋がることも難しいけど、後述するようにレアケースだとも思わない。
そこで、わたしのマインドフルネスを兼ねつつ、その部分について書こうと思います。
※ 全文手書きのORGANICなテキストでお届けします..!
家庭のこと
凸凹子育て家庭と言っても様々ある。パラメータが少し変わると、まったく別の地平が広がってる、と認識している。なのでまずここに「うちの場合」を整理する。
- 直近の分担
- 夫:フルタイム仕事、子ども全般、料理を担当 (ペーパー保育士なので🧒)
- 妻:フルタイム仕事、洗濯、片付けを担当、メンタル不調の休養
- 家事代行週1
- 祖母は高齢かつ府内だけど遠い
- 小3子ども
- 幼児期から診断あり、知的なし
- 不安が強く切り替えや叱られが苦手、生活リズムが崩れやすい、分離不安 (追記:学校は「つまらない」と言っている...w)
- 保育園から行き渋り
- 小1の年末〜年度末まで不登校、小2の年度末〜現在まで2回目不登校 (別室登校随時)
- 1回目の不登校の前くらいの話→ 2024年のまとめ1:凸凹子育ての就学奮闘記 - yprestoの非技術ブログ
凸凹・不登校児の親として
前提として、今の子どもたちに何が起きてるか。
文科省2022の調査によると、小学生の実に10.4%が学習や行動に困難があると教師が回答してるとのことで、珍しいことではない。加えて、支援が必要な子どもは不登校になる率が倍以上という調査結果がある。
不登校児の人数は、小中だけで実に35万人強 (4%弱)に達する。 学校に行かないということは家での見守りが必要ということも意味し、仕事を続けることそのものが難しく、2割の母親は離職する。いわば令和の「保育園落ちた」問題だ。 www.insource.co.jp
ホームスクーリングなどが制度化されている国もあるらしいが、日本ではもっぱら再登校を目指す以外の正規の選択肢がない。フリースクールや支援級(情緒級)もあるが、内申点がつかない=受験で大きく不利(追記:正しくは支援校も入れず進学が難しい)、送迎、学費の課題もある。
つまり凸凹児、不登校児の親は、自分のキャリアと子どもの将来、そして教育システムと子どもとの間の板挟みになる。一斉教育が「合わなかった」子どもたちは、答えのない選択を親自身が開拓していくことになる。
親自身が多くのことを学び、柔軟に変容し、医療機関と連携しつつ、学校・学童・家庭で適切な環境調整ができるよう、パートナーや祖父母、学校に説得・交渉することが求められる。このとき、受容に時間がかかったり、最後までできない人がいるのはやむを得ず、難しい決断を迫られることもあると思う。
(追記:なお、うちの子は「学校つまらない」などと言って行かない。大物に化けるのかもしれないw)
「学校の時間」に起きていること
わたしは子の誕生前からフルリモートで、現職は「家族ファースト」という標語も浸透している。もはや感謝しかない。下記のような状況なので、フルリモート・フルフレックスでない勤務は考えられない。
- 登校は朝の8時半なので、起こそうとするが、10時〜12時まで起きないことがザラにある
- 遅れての登校のために、学校の規則上も本人の気持ち上も、付き添いが必要(牛歩戦術と呼んでる😂)
- 給食に行かない場合、別でごはんの調達が必要だけど、毎日コンビニだと偏る
- 暇or寂しくて会議にわざと乱入しようとする
- 17時からの「パパとゲーム」の時間を大切にしてて、仕事が終わる時間まで待つことはできない
- 風呂〜寝るまで1人にすると怖がる
- ママにはアンビバレントな反応を見せる
結果的に、昼間に突然抜けたり、反応できなかったり、仕事が残っていても退勤となることがある。上司や同僚からすると、正直いつ仕事してるか、短期で見るとちゃんと終わらせてくれるかわからない状況だと思う。非常に心苦しい。
しかし、これは変えようがない事実として、 仕事は誰かに任せられても、子どもを抱きしめられる家族は自分しかいない。 ラストマンシップという言葉があるが、子どもにとっては親がそれなのだ。
1回目の不登校のときは、妻だけでなくわたしもメンタルが破壊されかけ、平日昼に公園から児相に電話もした。しかしどこに相談しても「あなたが倒れるわけにはいかないね」と言われるだけで終わってしまう。ついにどこかで覚悟が決まってしまい、以降は鋼メンタルになった。そして子どもにとってのキーパーソンとして振る舞うようになった。
子どもとの時間は一瞬で終わる、とは限らない
不登校や凸凹の話は、誰にいつ起きるか、良くなるか悪くなるかも、まったくもって何もわからない。突然あしたから登校しなくなることもあるかもしれない。例えばうちの子の不登校は、学童でのいじめが1つのトリガーだった。
それに限らず、子どもという存在は究極の不確実性で、誕生は奇跡の連続であり、どのように育つかも育ててみないとわからない。 天才的な変わり者になるかもしれないし、平行と垂直にこだわる人になることもあるだろう。 イタリアのつもりがオランダに行ったりベイルートだという親もいると思う。そして子育てが一生続く人も、いる。
大切なのは、人生の思い通りにならない部分を変えようとするのではなく、ありのまま受け容れることが救いだということ。
エンジニアは分析や解決の方に走りがちだと思うし、わたしも不登校1回目はそうしたが、ときに本人の発達や回復を忍耐強く「待つ」ことが、凸凹児・不登校児へのよい対応になる。(ref: 不登校の子の心のエネルギーグラフ)
(追記:直近ではわたしは「押して」いる。毅然とした態度というのも、また親なんだと思う。ただし一貫性がとても大事。)
不登校という問題を解消して満を持して復帰、を計画するのではなく、状況を受け容れてニューノーマルでやっていくほうがよいとわたしは考えている。
(ちなみにわたしは母方の存命親族全員が何かしら芸術に関わる家系に生まれてるので(母はムサビ卒。爆発の人は遠縁らしい)、学校というきちっとした環境に向く子が生まれるわけがそもそもなかった。 いや、わたしもハッカーという名の画家ということにしておくか。)
子育てと持ち時間と両立
1日の使い方は、仕事・家事・育児・個人の4象限の割り振りを変えることだけできる。そして家事育児は、家庭ごとに最低量が決まっている。これから子育てという人には、この鉄則は絶対に覚えておいてほしい。
例えば、わたしのワンオペの平日はこうなる。(常にワンオペではなく、わたしもダウンしてることがある)
- 仕事:8時間半
- 家事:2時間(料理と片付け、ときどき洗濯)
- 育児:付き添い登校までの2時間、夕方以降4時間(風呂〜寝かしつけ)
- 個人:1時間
- 睡眠:6時間半
- 合計:24時間
妻の不調もあり、家事や育児の時間は固定のことがある(一応料理はサボれる)。ここ最近は妻の調子が少しよくて助かっている。
個人の時間も多くは、発達や不登校について調べている(界隈のTwitterでしか得られない情報もある)。
この中でエンジニアとしての自己研鑽や残業を、最初は睡眠を削ってやろうとしてしまったが、休日に皺寄せがいくだけなのでやるべきでないと判断した。(実際は寝落ちしてるだけ🥹)
ここからわかることは、1日は24時間であり「両立」と称して48時間にすることはできないという、単純かつ明快な事実である。20代のわたしはここに目をつぶってしまっていた。
キャリアと実質的自由
それでも共働きする理由。妻が育児や料理が苦手だと言ってるのもあるが、わたしのエゴなところもある。
教育哲学者の苫野一徳さんの著書「教育の力」の冒頭に、以下のような一節がある。
生存・思想・良心・言論の自由や、職業選択の自由など、基本的自由権が法によってどれだけ保障されていたとしても、自ら生存する力、言葉を交わす力、職業に就く力などがなければ、それは絵に描いた餅にすぎません。
資本主義社会において「実質的な」自由を得るためには、生活し働く力が必要ということだ。
司書のあと専業主婦をしていた母は、離婚後に正規の職には就けずパートの残業代でやりくりしていた。過労のあまり単独事故を起こしたとき、医者から「子どもはちょっと・・」と面会を止められたことが脳裏に焼き付いている。
しかし共働きが正解かどうかなんてわからない。キャリアを繋ぐイコール出社8時間労働な社会であるのは事実。学校の用事や病気のときの対応は平日に起きる。凸凹子育ての場合、療育の休日枠の取り合い、付き添い登校や通級の送迎もある。主婦or主夫の存在を暗に前提としてることはまだまだ多い。
ここに正解はなく、わたしたちの場合はこうなのだ。
(妻に申し訳ないと思いつつ、教育費、介護費や介護離職への備えとかを引いてケチケチしない程度の暮らしができる程度の収入と考えると、うちは共働きが正解になると思う。この辺りはもっとしっかり話し合うべきだったと反省。)(追記:会社からはcompetitiveな給与をいただいてます🙏 単に支出が多い。)
仕事のこと
エンジニアとして
正直なところ、わたしはエンジニアとしての自己研鑽とか以前に、まずは働けていることに感謝すべきだ。
わたしは、物事の仕組みを捉えたり深掘りしたり理想を定義するのが得意な人、だと思っている(違うやろというツッコミは歓迎😭)。特に、誰かの課題になっていて、自分にしかできないと思った部分には、執着的な馬力を発揮してきた (OSSを作るときは大体そう)。ただ、ものごとを着実に要領よくこなすのは比較的苦手で、言語化や思考の整理には時間を必要とする。
興味を持てば自然に学んでカタチにしたり、苦手は時間をかけることでカバーしてきた。しかし脳内も物理も家庭にジャックされたままだと、そういう力を仕事で発揮できるタイミングは限られてくる。本来発揮したい、求められてるであろう動きができないことが続いて、同僚と比べて苦しくなることもある。
その時の苦しいマインドは、この「The Senior Engineer Death Spiral」記事に通ずるところがある。輝かしい成果のために無理をして、うまくいかなくなる悪循環である。 sunilpai.dev
この記事では、ソフトウェア以前に信頼関係を構築する仕事をしているんだということと、まずはチームの良き貢献者になることが大事だと締めくくられている。
わたしは今の会社規模(エンジニア100名超)で働くのは新卒以来だ。全員が全員のことが見えてる環境でないからこそ、記事にあるように「信頼の構築」こそが仕事だと感じている。
子育て勢のみなさんは、あちこちで歯がゆい思いをしてると思う。でもまずは、周りに感謝し誠実に自分の仕事をこなすところからだ。それからだ、すべてはそれからでいい。
リモートワーカーとして
なるべく出社したいと思うようになったのはいつからだろうか。雑談の中にこそ、誰かの画面の中にこそ、おもしろくて、まだ知らないことがまぎれているものだ。オフィスに行くたびにそれを感じている。
ハイブリッドな会社でフルリモートで働いている場合、自分の存在を認知してもらえるのは、チームメイトか、自ら発信した時の相手、だけになる。誰にも知られていないということは、信頼も狭い範囲にしか及ばない。
もちろん目を見張る輝かしい成果があれば発信はいくらでもできる。しかし日々の仕事からの学び、(立場にもよると思うけど)それは失敗も含めて、を整理して広げることは、大切だと思う。時間がないからこそ意識的に整理には時間を取るようにしたい。(これは願望であり、できてるとは言ってない)
余談だけどリモートのみなら、コミュニケーションのシグナルノイズ比には気を配るべき。反射的な投稿は慎もう。(完全なる戒め)
終わりに
前半部分、界隈に詳しくない人はギョッとしたかもしれない。でも界隈の人はあるあるだと思ってくれただろう。
人生においては変えられないものごとも正直ある。しかしそういうものだと思って生きていく力も大事だと思う。自者も他者も人生そのものも受容できる力があれば、何が大切なのかを見極め、選び取っていくことができるはず。かんじんなことは目に見えない、ということを忘れずに生きていきたい。
こんな長い取り留めのない文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。
あと、似た境遇の人がいればぜひ話しましょう!




























